その人は、私のボーカルの先生でした。
20年前、リトミック講師を始めた私は、自分の声が好きではなく歌うのが苦痛でした。
昔から声が低く、キーの高い童謡を歌うのに、高音でヒーヒーいってしまうのが、本当に嫌でした。
以前に知人の紹介で、オペラの先生の方から声楽を習った事がありましたが、「あなたは私が教えなくてもいいんじゃない?」とやんわり断られ、その後、劣等感を持ってしまいました。
今度習う時は、自分が前向きになれる指導をしてくれる先生を探そう、と
インターネットで、数え切れないほどあるボーカル教室の中に「4オクターブの声の持ち主」という女性のジャズボーカリストが目にとまりました。
そこのレッスンは、音楽に限らず声を使う仕事の役者やナレーターに発声を教える、と書いてありました。
また、『声の悩み相談にのります』とも書いてありました。
結果から言うと、その50分の体験レッスンで、私の声は劇的に変わりました。
5度くらい上まで、出るようになりました。
発声の基本的なことだったと思います。
おへその下にある、丹田を意識する。
腹式呼吸の仕方。
喉は絞めないで、あくびの時のようにあける。
あごをひいて、顔が前に出ないようにする。
それだけで、嘘のように声がでるようになりました。
帰り道私は「これで、高いキーの童謡が歌えるようになるかも」と次回のレッスンを楽しみにして帰りました。
その日から、先生は私の教祖様になりました。
教祖様は、
歌を歌う人特有の微笑んだ顔をした女性でした。
歌を歌う人は、口角が自然に上がり、ほっぺたも少し上がっています。
それから、目がいつも微笑んでいました。
教祖様の発声の指導は厳しく、90%ダメ出しでした。
声を出す度「違う、出来ていない」
アドバイスを聞き、その通り、何度やっても
「違う」とハッキリ言われました
本当に時々、10回に1回でも「今のは悪くないわね」と言われただけで、飛び上がる程嬉しく、私は心の中でニヤけていました。
先生には、「出来ていない」と認められていませんでしたが、自分としては、どんどん歌が上手くなっていると感じていました。
教祖様は、いつも
らしさ についても語っていました。
あなたらしさ
あなたはあなたでいい
あなたは、あなただからいい
発声レッスンは厳しかったけれど、
先生との会話を楽しみにしていました。
教祖様の口癖
「昨日のあなたより、今日のあなたの方が素敵」
「今日のあなたより、明日のあなたはもっと素敵」
教祖様の微笑んだ顔でそう言われると、本当にそんな気がして、本当に素敵な私になっていきました。
誰にでも、人生で一番輝いていた、と実感する時期があると思います。
その頃の私は、仕事も楽しく、第一子を出産し、やりたい事がたくさんあり毎日輝いていたと思います。
ちょうど、先生との出会いと重なりましたが、
お別れは早く、1年半で訪れました。
発声レッスンを受けた事がある方はお分かりだと思いますが、目に見えない身体の使い方をイメージすることで声を作っていきます。
声を眉間に当てて
背中を開いて空気を入れて
もっと背中で声を出して
頭蓋骨を響かせて
高い声は低く感じて、低い声は高く感じて
今度は目から声を出して
もう色々なことを言われます。
ある時は、リプトン紅茶のティーパックになるよう言われたのは、印象深く覚えています。
自分が三角形になったつもりで、下半身は一番下に重心を置いて支える。だんだん上にいき頭の上からヒモが出て、引っ張られている感じ。
こんな訳の分からないことを毎回、手を変え品を変え、粘り強くやり続けます。
先生との信頼感がなければ付いていけません。
私は、毎回発声のレッスンを録音し、出来たこと、出来なかったことをノートにまとめて、家でもおさらいしていました。
月2回のレッスンの次のレッスン日までは、
訳の分からない練習のやり方を信じて、家で忠実に復習していました。
ある時、教祖様が、宿題を出しました。
ある音程で、ミックスボイスが出かけていて、それを自分のものにする。
二週間、家で練習し、次のレッスンに向かいました。
出来ているか分からないけれど、掴めた感触もある。
レッスン当日
教祖様からダメ出しされるか、褒められるかドキドキしていました。
でも、教祖様は、私にその宿題を出した事をすっかり忘れていました。
たったそんな事の、一回で、私はものすごく傷付き失望しました。
私は毎日練習していたのに、先生は宿題を出した事すら覚えていなかった。
帰り道に、絶望して、もうやめてしまおう、と決めました。
それから1か月くらい悩んで、やめる事を告げました。
理由は、仕事が忙しくなり通えなくなったと嘘をつきました。
宿題の件で傷付いた事は打ち合けていません。
恋と同じです。
私が、教祖様に夢中になり過ぎて、見返りを求めるようになっていたのです。
恋をすると、相手が自分を思うより、自分が相手を思う気持ちが強いと、去っていきたくなりませんか。
やめることを告げると、「もう決めたのなら、あなたの意志を尊重する」と承諾してくれました。
教祖様のレッスンも、残り一回となりました。
気まずい気分で、終わるのかな、と思いきや
教祖様はこう言いました。
「今日一回しか、ないでしょ。
あなたの好きそうな事を2つ考えてきたの。
時間的に1つしか出来ないから選んでね。
1つは、即興をやりたいと言っていたから、
ジャズのスキャットをやる、
もう1つは、歌いたいスタンダード曲を一曲
歌う、どっちがいい?」
どっちも、メチャメチャ魅力的でしたが、スタンダードは新曲だと英語の歌詞が、すぐ歌えないと考え、スキャットをお願いしました。
色々な声を本能のまま出す、楽しいレッスンでした。
それから、一度だけ、教祖様のライブを聴きに行きました。
それから、教祖様のCDを通販で全部買いました。
それっきりです。
私は、先生のポジティブな精神にものすごく影響された、と自分で思っています。
今でも毎日「昨日の自分より、今日の自分がいい」日々となっています。
私の子どもにも、私の生徒にも、ポジティブ教が受け継がれていく気がしています。
それから、生徒にとって、先生とはすごい存在=教祖にすらなり得る、と勉強になりました。
いつもリトミック で、子どもに
「ねーもう一回やりたい」と言われ
「今度ね」と何の気なく返事してしまいます。
そして、忘れてしまいます。
言えない子は「先生の嘘つき」とらあの時の私の様に失望してしまうしれません。
子どもとの約束は、手帳に書くようにしています。
わずか1年半の短い期間でしたが、自分を見つめまくった、濃い時間だったと振り返っています。